越前織について

About Echizen-ori
越前織協同組合は、福井県坂井市丸岡町に位置し、織ネーム・ワッペン・織テープで全国シェア70%を誇る国内最大の産地です。明治44年(1911年)にルーツを持ち、100年以上の伝統を継承しながら、昭和57年のレピア織機導入、昭和59-60年の紋紙工程コンピュータ化など、常に技術革新を続けてきました。

特に平成9年(1997年)に開発したFS糸(ファインシルキー)は、絹のような光沢を持つポリエステル原糸で、原糸段階で顔料を混ぜ込むことで色落ちしにくく、発色に優れた独自開発糸です。常時90色を備え、最小1キロから購入可能で、越前織の高品質を支える技術革新の象徴となっています。

現在、30社の組合員が加盟し、超高密度織技術、最大12色表現、QRコード織り込み(特許取得)など、高度な技術力で世界的ファッションブランドから学校制服まで幅広く対応。伝統と革新が融合した日本のものづくりを体現しています。

越前織の工程

Process
越前織は発注から納品までに多くの工程があり、
工程ごとに分業化され、多くの関連企業とともに産地を形成しています。

デザインの決定

織ネームにするデザインを実寸データを作成します。

素材の決定

ポリエステル、レーヨンなどの素材と色を決めます。

織り組織の決定と織機の選択

出来上がった製品の手触りや伸縮性、強度に関わります。平、アヤ、朱子、高密度など様々な織り方で最適な織り組織をご提案します。

紋型データ作成

決定したデザインを基に、組織、打込み(織り密度)データを作成し織機で織れるような紋型データを作成

織り工

決定したデザインの規格に合う織機で生産

加工

生産した織ネームに、樹脂、ヒートセット、インク止めなどの加工をして防縮やシワ取りなどを行う

検品

糸のほつれ、汚れなどを取り除く検品を1枚1枚する

カット

希望のカットをしたり、ロール、板巻きなどをして、最終工程袋詰めをする

完成

完成です。

越前織の歴史

History
明治44年

越前織のルーツ「織マーク」

織マークは、兵庫県尼崎出身の寺岡兪太朗氏が明治44年頃、1台で同時に数巾を織る事ができる装置を織機に設置し、これを西陣の紋機と組み合わせてマークを織ることを考案したことがはじめとなる。

北陸地方では、明治の中頃からリボンの生産が行われおり、このリボン製造の経験を生かして、大正4年に丸岡町の角田広氏が寺岡氏の指導を受けて丸岡町に織マーク製造の技術を導入し、織マークの製造を始めたのが元祖だといわれている。
明治44年 越前織のルーツ「織マーク」
大正13年

福田恭治氏の細幅織機製造

大正13年、福田氏は福井市毛矢町で「はたご大工」として沢田幸吉氏のもとで仕事を始めた。
当時の細巾織機は、はたご大工が作った木製の枠に京都の小森大助氏が考案したといわれる框を取り付けた手織り機で、こうした織機の修繕などははたご大工が引き受けていた。
その後、福田氏らは従来の広巾織機を改造工夫して、動力2段框の細巾織機を製作するようになった。

昭和8年4月、福田氏は独立して細巾織機専門の製作所を開業した。
大正13年 福田恭治氏の細幅織機製造
昭和5年

丸岡細巾マーク織物組合の結成

大正から昭和に時代が変わり、生活の洋風化とともに、織マーク、ネームの需要は大きく高まっていった。ようやく丸岡地方の織マーク製造が軌道に乗り始めだした昭和5年、「丸岡細巾マーク織物組合」が任意の同業組合として結成された。

また、品質においても すでに試行錯誤の段階を過ぎ、製造技術を習った西陣の製品より勝るとも劣らない注文通りの製品が丸岡で生産出来るようになってきていた。製品は国内需要のほか、日本のアジア進出にともないインド、朝鮮、中国にまで輸出された。
昭和10年

織マーク工業組合の認可

昭和10年12月、当時の工業組合法にもとずいて「福井県丸岡細幅マーク織物工業組合」が商工省より県内では最初の組合認可を受けた。
その頃では生産規模、品質など先進の京都、足利、桐生を凌ぐ織マーク産地として内外に認められるようになっていたといえよう。
しかし、第二次世界大戦の勃発を前に、政府はあらゆる産業統制の施策を打ち出してきた。
すべて「軍事優先」「統制経済」の時代の波が押し寄せてきたわけである。
昭和16年

戦時統制によリー県一組合に

昭和16年、統制と軍需生産の強化を計る政府の一県一組合政策により、「福井県丸岡細幅マーク織物工業組合」は、「福井県織物工業組合」に併合されるとともに、企業整備により各組合員はグループ化された。

当時は軍需製品が中心で、陸海軍の階級章、帽章、マーク、郵便局の帽章、在郷軍人会・大政翼賛会・国防婦人会等の徽章や肩章などの受注を受けていた。
昭和16年 戦時統制によリー県一組合に
昭和20年

福井大地震で壊滅的な打撃

昭和20年7月、福井市が空製を受けて市内の繊維業者は壊滅的な打撃を被った。
幸いにも丸岡地区は空襲は免れたが、ようやく戦争の後退症から立ち直ろうとしたときに思わぬ大災害が発生した。マグニチュード7,3度を記録する大地震に見舞われた。

しかし、災害救助法の適用、都市計画申請、復興資金貸出、など適切な行政措置が取られ被災住民の災害復興の意欲も旺盛で意外に早く立ち上がった。
昭和20年 福井大地震で壊滅的な打撃
戦後

アメリカから大量の織マークの注文

戦後、丸岡の細巾業界にアメリカから大量の注文が舞い込んできた。
当時、織マークの注文は百ダース単位が普通で五百ダース、千ダースは大口だった。ところがアメリカからの注文は何十万ダースという天文学的数字で、とても丸岡の全業者が受けても応じ切れない注文である。
戦後 アメリカから大量の織マークの注文
昭和30年

波乱に満ちた年代

昭和30年代は、織マーク業界にとって好況、不況を激しく繰り返した波乱に満ちた年代であった。
本県の細巾織物の工場数は、昭和27年前後は200工場足らずであったのが、昭和34年には555工場に、昭和35年には980工場に飛躍的に増加している。

昭和36年には過当競争が表面化し、生産秩序が乱れ、混乱状態になって休業する業者が続出、この年の人絹相場の暴落、低迷も反映して業界全体が不景気のどん底に突入した。
昭和30年 波乱に満ちた年代
昭和 39年

東京オリンピック

昭和39年10月、東京オリンピックが開催された。オリンピックといえばあの五輪マークである。
織マーク業界では正式にマークを取り扱う商社により「オリンピックワッペン業務連盟」が結成され、その製造指定、不正使用防止などについて協力を当組合および北陸織マーク連合会に申し入れてきた。
昭和 39年 東京オリンピック
昭和40年

「原着糸」の共同購入

昭和40年代の末頃から酸性合成洗剤やさらには漂白剤まで一般家庭に出回るようになった。
結果、組合では共同事業として昭和52年に新しい標準色としてクラレ原着糸を相当量仕入れる事となった。
昭和40年  「原着糸」の共同購入
昭和57年

画期的な高速織機

昭和57年頃から、町内においても「レピア式織機」を導入する織マーク業者が出始めた。
レピア式織機は広幅用の織機を利用したもので、タテ糸ヨコ糸共全ポリエステルで製品を織りながら同時にヒートカットしていく機械である。
昭和57年 画期的な高速織機
昭和59年

紋紙工程のコンピュータ化研究

組合では、福井県紋工業協同組合と提携し、福井県繊維工業試験場、大日本スクリーン製造株式会社の全面的な協力を得て、「織マーク紋紙生産工程コンピュータ化研究開発事業」を昭和59年4月~同60年3月に実施し実用化の可能性について研究開発を行なった。

その結果、コンピュータ画像修正処理にある程度の熟練を要するが、組織の挿入、紋彫などは短期間の修練で操作できる。また、織巾の違いやデザインの難易度により多少の修正時間差が出るが紋彫の工程時間は画期的に短縮されることになった。
今後、コンピュータの活用により紋工作業の合理化と新製品の開発が可能となった。
昭和61年

高品質な「越前織」のブランドをめざす

昭和61年に組合名を丸岡ファインテックス協同組合と改称したのを機会に、旧態依然とした細巾織物のイメージを払拭し、コンピューターソフト開発に伴う美術工芸品をはじめ多様化する新商品を総称する統一ブランドを『越前織』とすることに決めた。

特に、活路開拓事業として積極的に実用化に向けて開発したコンピュータソフトによる紋紙作成で織り上げた『丸岡城』(8色)は、室内装飾用絵画で、従来の細巾マークの製品イメージを完全に打破した高級美術工芸の分野に進出した。
さらに東京・西武デパートで開催の福井県主催「越前・若狭の観光物産展」でも大好評を得た。
昭和61年 高品質な「越前織」のブランドをめざす
平成

紋紙リーダーの導入

平成に入り、受注の減少さらには多品種、小ロット、短サイクル、短納期が一層顕著になり大変厳しい企業経営を迫られるようになった。

こうした時代の変化に対応するためには工場環境の整備、生産工程の省力化等が必須の条件となり、組合では、写彫りの需要やフロッピー化普及に伴い紋紙リーダーの導入を実施した。紋紙リーダーは、従来の紋紙を機械にかけて、複製したり、開穴情報をフロッピーデータに書き換えるものだ。
平成 紋紙リーダーの導入
平成 6年

ベストセラー書籍「日本一短い手紙」に越前織が採用 越前織

深刻な構造的不況を打開するために個々の企業では出来ない新技術、新製品の開発や新市場の開拓などを研究すべく事業委員会のもとに平成5年「振興開発グループ」を組織発足した。

平成6年「振興開発グループ」は、極めて精力的に活動し、丸岡町文化振興事業団が刊行のベストセラー書籍「日本一短い手紙」にグループが開発した越前織のブックカバーと「しおり」が採用され大きな成果を挙げた。
平成 6年 ベストセラー書籍「日本一短い手紙」に越前織が採用 越前織
平成9年

ポリエステル原着糸(FS糸)の開発

近年ポリエステル糸の需要が急伸し、アバレルメーカーや、織マーク商社等の要望に応えて組合では、平成8年からポリエステル原着糸の研究、開発に着手平成9年に商品化した。
光沢があって絹のような感触の極めて良質な糸の開発に成功し「ファインシルキー」と名付け37色の生産に入った。平成11年には、組合員、商業者双方からの要望によりFS糸を84色増色し、より充実しだ体制を整えた。
平成9年 ポリエステル原着糸(FS糸)の開発
平成10年

新製品「おくりふみ」

平成10年度 振興開発グループでは新製品の「おくりふみ」を完成させ丸岡町、坂井町、春江町の方々に無料でご利用頂いていた。その後は有料化をめざして利用者の反応をみながら、葬儀社と検討を進めた。
平成10年 新製品「おくりふみ」
平成18年

越前織アイデアコンテストを開催

越前織アイデアコンテストを開催し、越前織の産地、丸岡から新たな商品開発におけるアイディアを広く募集した。

「越前織」商標登録取得

「越前織」が、平成20年5月2日に商標登録を確定し、登録され、特許庁長官より商標登録証が到着した。
 「越前織」商標登録取得
平成19年

越前織アイデアコンテスト受賞者発表

越前織アイデア募集への応募総数158点から、2007年2月13日に最終選考を行い、審査では、新規性と新製品開発の可能性を検討した結果、優秀賞2点、佳作2点、審査員奨励賞2点、特別デザイン賞1点を選出した。
平成20年

生分解性織ネーム「バイオマーク」の開発

土の中で分解されるポリエステル繊維を使った越前織製品「バイオマーク」を開発する。
平成20年 生分解性織ネーム「バイオマーク」の開発